のほほん雑記帳 大槻ケンヂ 2014年05月07日

またまた懐かしい本をkindleで発見。大槻ケンヂののほほん雑記帳であります。

この本も中島らもの僕に踏まれた町と僕が踏まれた町と並んで中高生時代に本棚のメイン位置に並んでいた本ですな。実家の主不在となった僕の部屋の本棚につい最近まで残っていたような気がしなくもないが、実家に帰るたびに足の踏み場もなかった部屋が少しづつ綺麗になっていき、いつしかこの本も消えていた、と思う。

んでもって改めて読んでみるとこの本が大槻ケンヂの出したエッセイ本の最初だったんですな。久しぶりの大槻ケンヂの語り口がもうなんか恥ずかしいぐらいに80’sの残り香を残した文体で一人文面に恥ずかしくなったりもするんだが、オーケンのWikiを読んでみると「昭和軽薄体」とカテゴライズされる文体があるんですな。知らなんだ。それを意識して書いていたいう。しかし、中高生の頃、有り余る時間を使って一生懸命読んでただけあって書いてあることをよく覚えている。

大槻ケンヂ – Wikipedia

中学生ぐらいの頃、読みやすい文体にオーケンおすすめのバンドや映画、本なんかが満載されたこの本を元にそれなりにいろいろと広げていってたように思う。それでも今の僕のフェバリットな映画の5本の指に入る「真夜中のカーボーイ」なんかもこの本の中で名前が出てくるが、僕が実際に観たのはタイに来てからなので実際に見てみようと思うまで20年近く経っていたりするもんですが。。。

そういえば当時聞いていたサイキック青年団というラジオ番組のジングルで筋肉少女帯の「妄想の男」が使われてたり、大槻ケンヂがゲストで来て、UFOのことばっかしゃべって帰って行ったりしてたのでそれでこの本を知ったのかもしれない。

90年代初頭の大阪、寝屋川でもんもんしてた高校生の僕の教科書が「サイキック青年団」「大槻ケンヂ」「中島らも」「ストーンズ (登下校中、ずっとSympathy For The Devilばっか聞いてた)」だったような気がしますわ。こうやって書いてみると当時のサブカル系横好き引きこもり高校生のテンプレはしっかり踏んでますな。当時読んでいた中島らもの僕に踏まれた町と僕が踏まれた町で中島らもが大阪芸大卒業というのを知り、浪人時代「中島らもと同じ大阪芸大もいいかな」と思って同じように放送学科の推薦入試を受けたら受かってしまって非常に悩んだこともあった(結局、次の年の1月の入試の時期に立命、関大と両方合格し最終的に立命に入学したが)。しかし、浪人してて推薦もないとは思うんだけど、実際に現在の大阪芸大のWebサイトを見ても11月に行われる推薦入試に学校からの推薦書なども要らないと書いてあるので多分誰でも受けれるんだと思う。

中島らもと大槻ケンヂのこの本で中高生時代をいろいろと思い出す今日このごろです。

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遅れてやっと初めて黄色いマンゴー、มะม่วง を食いました 2014年03月20日

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マンゴーアイスクリームなど喜んで食っておりましたが、実際のところタイに7年居てつい最近になるまで黄色いマンゴーを食ったことがなかったのです。緑色のマンゴーは食ったことがありました。イサーンの出身の女の子の彼女が居れば、だいたいみなさん食ったことがあるでしょうが、緑色マンゴーをナンプラーワーン น้ำปลาหวาน やガピワーン กะปิหวาน と一緒に食ったことがあると思います。あれは女の子は何故か皆大好き。

緑色のマンゴーは熟す前のもので歯触りはゴリゴリ、味は酸っぱいのでナンプラーに干し海老などのコクのあるドライシーフードと砂糖なんかを煮詰めてタレにして食べるのですが、これもまためっぽううまい。塩気とシーフードの旨味と甘み、それとマンゴーの酸っぱさが綺麗に合体します。このへんをよく食ってたのと昨年までは酒飲んでたのでフルーツとか甘いもんに興味がまったくなかった。

ただ、ちょうど今がタイは黄色いマンゴーのシーズンなんでスーパーなどで見かけてとりあえず買って帰ってきた。

実際に食ってみるとファラン(西洋人)などから人気があるのがよくわかる。甘み、酸味、舌触り、味の太さなど絶妙にバランスがいい。水分が多いのか100gでカロリーは65kcal程度とそんなに高くもないが、炭水化物はちょっと多めか。

BINGO MANGO > マンゴーの栄養素

いやー、これはうまいね。個人的にはドリアンの次に好きかもしれない。マンゴスチンが果物の女王なんていうけど、マンゴスチンの痛みやすさと食いにくさを考えると、マンゴーのほうが量も多く、食べやすいので自分みたいなめんどくさがりにはちょうどいい。

改めてタイに住んでてよかったなあと思える瞬間。素晴らしいですな、タイの食環境は。

タイでのオフィス新規開設は大変 2014年02月20日

Building Renovation
“Building Renovation” photo by Cal Sr

ここ数年でタイに新規にオフィスを開設するお客さんのネットワークの構築などのサポートをしてるが、タイでイチからオフィス立ち上げるってのがホントに大変なのがよくわかる。

別にこれ、会社の新規に開始する業務の内容に関して許認可がどうのこうのという話ではなく、ただ単にオフィススペース借りて内装やってもらって、電話線ひいて、LANの工事頼んでっていう単純な工程だけなんだけど、それでも大変だわ。

とにかく電話やら電気やらネットワークやら、全体の繋ぎ込みやらの協調を意識して動いてくれないでそれぞれのプレイヤーが自分たちの仕事だけ考えて動くから間に立つ発注者がちゃんと関連の知識を持って何をやった後に何をやるかなどの行程と、それぞれの行程のインプット・アウトプットを理解してないと全てがバラバラで繋がらない。

日本の場合、業者が来るときに「★★はお済みですか?」などと気を使って聞いてきてくれるがタイの場合、だいたいは現場に来てから言われる。事前に電話で話してる時に「これまだ終わってないけど作業できるよね?」と聞けば「あ、それ先に終わらせてください。作業できないですよ」と言ってくれるけど聞かないとまず言わない。

だから、日本ではホントに肩書だけのマネージャーとか一杯いるけど、タイの場合それぞれ配下の作業員を有機的に結びつけるためにマネージャー職が存在するんだろうと認識している。

基本的にタイの仕事のスタイルってアメリカ式で職務がはっきりしていて境界を越えて他人の業務に口出ししたり、気にしたりはしない。それはマネージャーの仕事だったり、同僚の仕事だったりするので良くも悪くも干渉しない。

んで、タイ慣れしてない人が会社からオフィス新規開設で面倒見てやってくれと言われて日本と同じ感覚でやってきたら大変である。怒 > 落胆 > フラストレーション の繰り返しで、端から見ててもタイ語と自分の得意な専門知識分野でこの代行業務だけやっても食っていけそうなぐらいに思える。

それぐらい大変で、皆さん振り回されているタイでの調整業務。こういう場合は東南アジア周りでの新規立ち上げに慣れた人に丸投げするのが一番手っ取り早いと思いますな。少なくとも日本と同じ感覚で取り組んでたらいつまで経っても終わらないと思います。。

タイ人の耳は พี ピーと น้อง ノーンだけは反応しやすいように出来てるんだ 2014年02月01日

Bangkok - Citysights 04
“Bangkok – Citysights 04” photo by Pandiyan

タイ人の文化は基本的に年上の人を敬うように教育される文化であります。んで、年上の人を呼ぶときには基本”ピー”、年下の人を呼ぶときは”ノーン”と付けて呼んだりするのが通例。兄弟のことを”ピーノーン”と呼ぶ。

お店で店員を呼ぶとき、街中で知らない人に呼びかけるときなんかも基本”ピー”を使う。年上を呼ぶ言葉だけど、年上を敬う気持ちでってことでとりあえず他人への呼びかけに使うことが礼儀正しい、ということになっているみたい。

だからたまにタイに来たてで、あんまり事情をわからない20歳代ぐらいの兄ちゃんが、店員のおばちゃんに「ノーン、ノーン!」とか言って呼びつけてるのはホントは”ピー”を使う方がいいはずなんである。日本食屋やラーメン屋で働いているおばちゃんなんかは当然日本人相手の商売だからわかりきっていてほとんど気にしてないだろうけど。

んで、まあ僕らよく、タイ人の店員は客に全く気を使ってない、呼んでも全く聞こえてなくて全然注文取りに来てくれないなど、ぼやいたりする。

まあ、家族経営でちゃんと商売意識が給仕してる息子、娘にまで伝達されてるところならまだしも、雇われなら基本的にタクシーやバイタクと同じく、それほど職を得るのに敷居が高くないので基本的にやっつけである。ぱっぱと自分の仕事だけして給料もらって家帰ろうぐらいしか考えていない人間が多い。だから客のほうを気づかってちゃんと注視していたりはしない。客のほうが用事があるときは必死に呼ばないといけない。

たぶんそういう時は、”ピー”、”ノーン”で呼びかけると割りかしちゃんと反応してれる気がする。

日本人なら通常メシ屋で「あのー、ちょっとすんませーん」ってな感じで店員を呼ぶ。その感覚でタイのメシ屋で”コトォ〜 カ〜ップ!”って呼んでたって普段タイ人は謝る言葉で人を呼んだりしないのでその音の周波数ではメシ屋の店員のアンテナには引っかかんないんだろう。そこを”ピー!”と声がけすると、タイ人同士では通常そうやって人を呼ぶから、自分を呼んでるとは思っていなくともふり返ったり気付いてくれる可能性が高いんだな、と最近よく思うことがある。

日本人らしく(って僕だけかもしれんが)タイに来ても店で日式に「すんませーん」と叫ぶ客と、タイ人らしく”ピー”、”ノーン”で呼ばないとなかなか気付いてくれない店員って、お互いやっぱり言語や行動パターン、反応しやすい音なんかはそれぞれの文化にしっかり根付いてるんだなあと思う今日このごろです。

自然の中に生きる 2014年01月23日

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彼女の田舎に行った際に、実家が持っている田んぼに行こうと言われて行ってみたら彼女のお父さんのお兄さん、彼女から見たら伯父さんがそのたんぼの小屋に住んでいた。

すでに90歳近いらしいが、掘っ建て小屋に近い下の写真の建物。

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ちなみに周りには田んぼしかない。

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さすがに電気も水道もない、ということはなく、電気は田んぼを隔てた向こう側の通りから頑張って引いてきたみたいだし、水道は地下水を汲み上げて煮沸して飲んでいるとのこと。下のアヒルの小屋なんかも全部手作りらしい。

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彼女の伯父さんはもともと軍人さんで、90近い年齢を考えると1920年ぐらいの生まれで第二次世界大戦の時には若さのどまんなかの20歳代。西欧列強からの支配を逃れていたタイだからタイの自国軍でのお勤めかと思いきやフランスのベースキャンプで働いていたそうな。「だからフランス語はペラペラなんだって」と彼女が言うので「フランス語は俺、わからんよー」と話していたが、実際に会ってみると開口一番、

「グッドモーニング!」

と言っていたらしい。英語も少々たしなんでおりますとのこと。それも年取ってるせいか、もごもごしたしゃべり方で当の僕自身は話しかけられているのにまったく聞き取れず「???」みたいな顔をしていた。

この伯父さん、90歳の割には非常に肌の色艶が綺麗で健康そう。軍人を辞めてからは坊さんになってずーっと寺に入っていたらしい。それを彼女のお姉さんが世話していて、手間がかかるから俗に戻ってきて近所で住んでいてくれないか、というお願いに応じて実家の近所に住んでいるらしい。よくよく聞くと毎朝一日分のメシは彼女の姉さんが朝イチで届けにくるらしい。

基本、田舎のメシ(特にイサーンの場合)、油の強いものもなく、野菜メインでバリバリの自然食が多く、一回の食事量も少ないので本来こういう食事と自然の中での生活を続けていれば健康で長生きできそうなものだが、いろいろと彼女の実家の周りで

「半年前には元気にしてた***さんがなくなった」
「帰省してもここ2,3回ぐらいは***さん見てなかったけど、実は死んでた」

みたいな話をとにかくよく聞く。それも大体40歳、50歳ぐらいの人を中心に。これは多分酒じゃないかな、と思っている。タイではビールやらメコンウィスキーやらいくつかの銘柄があるが、タイの田舎に行くと飲んでいるのはビールかラオカオという焼酎みたいな40度はあるハードリカー。これがまたきっつい味なんであります。大体この2つか、どぶろくのサートーというお酒。

田舎の集落(ムーバーンと言って大体寺を中心として住居が集まった地域)にひとつはある雑貨屋で大体数バーツでおちょこ一杯を量り売りで売ってたりするんだが、よれよれ、べろべろの薄汚いおっさんとかがひっきりなしに買いに来る。僕も最初彼女の実家に来た時は近所の酔っぱらいが物珍しさに寄ってきては「金くれー」とせがまれ、10バーツとか渡すとすぐさまラオカオを買いに行ってた。

彼女の実家でもよく見かけるし、彼女のお姉さんが嫁いだスリンの雑貨屋でもいつも酔っぱらいがいることを考えると田舎のほうのラオカオ愛好者(中毒患者とも言う)ってかなりの数のはず。このラオカオは絶対体に悪いはずだ。。。と自分では信じている。

90歳の彼女の伯父さんの年はいっても健康そうな顔を見ながらこういうことを考えると、やっぱ酒は飲まん、ということでそのまま続けててもいいのかなと思う今日このごろ。最近は僕も年いったのか好きなことも体調が優れないと続けられないんすよね。

また、自分も年取ってバンコクとかの都会で生活するのがしんどくなってきたらこういう田んぼや山のどまんなかに適当に小屋を作って生活するのもいいかもしれんなと思ったりしてます。こういう生活の中で農作業中に落雷で命を落とし、人になかなか発見されず、そのまま田んぼの土に戻っていく、なんて最後が幸せかなあ、、、なんて思ったりしております。

↑ こちらはメコンウィスキー。