“Distribution centre” photo by Nick Saltmarsh
他人からの強制で自分の生活を計測されるときは大体において自分が評価されるときで、常に大きなプレッシャーとストレスがある。仕事で評価されるときや、医者からの強制で自分で食事の制限や数値を毎日計測する/されるのはとてもストレスフル。
反面、自分が進んで計測するのは楽しい。このへんはレコーディングダイエットで十分すぎるほど体験しました。自分の行動とフィードバックが手に取るようにわかるので常にこうやったら、これぐらいのいい結果があがるかな?とか普段の生活自体が創意工夫にあふれる。計測するだけではただの数字の羅列なんでそのログ解析について多少頭を使わないといけないが、その工夫も慣れてくると楽しい。
だから、以下のWIRED.JPの記事に書かれている、ログ取りの二面性がとてもよくわかる。
自分のすべてを計測・記録する「データ男」 « WIRED.jp
BMCソフトウェアのCTOであるクリス・ダンシーが進んでログを取るのは楽しいから、この事実から自分の知らない自分の事実が数多く発見できるから。それに対して、Tescoの従業員の件はしんどい事例ですな。とはいえ、こういう形態の業務評価がこれからどんどん夜に溢れてくるのは明白だと思う。例えばこちらも最近話題になっていたアマゾンの件。
Amazon物流センターの過酷な労働の実態が判明、多大なる犠牲が明らかに – GIGAZINE
人道的なことはちょっとおいておくと、これは自分が経営者だとしたらぜひ導入したいところだと思うなあ。なぜかというと一律で人間の主観が入り込む余地がなく数字で従業員のパフォーマンスを出せるから。全部コンピュータとセンサーでやってしまえば不正や人間の情による不正確さがかなり縮小されるはず。とはいえ、人間の感性的には自分が評価されることを想像すると安易には実施したくないもんです。
経営者がビジネスの頭、会社がその身体だとしたら、経営者が従業員や会社のリソースの詳細なログを取って評価していくのは楽しいだろうな。上の話と一緒で前向きで新しい発見がある。
従業員は他人の意思で強制的に計測されるわけだからストレス溜まるわな。
だから、従業員はまず自分の意志で自分のログを詳細に取って自分のパフォーマンスの売り方、見せ方を理解しておく必要があるのじゃないかと最近思ったり。経営者から先に評価のルールを適用される前に自分の評価を最大級に提示できるルールを先に提示してしまう。これならまだ他人から強制されるより人間的でモチベーションはあがるはず。
多分、いずれすべての従業員に機械で一律に評価ルールがあてがわれてストレスフルな「機械に支配される」労働スタイルが一般化する前に自分の評価を自己申告する手法を取らないと人生の中の労働が文字通り、死ぬほどストレスフルなってしまう可能性があるのかもしれないなあ。とはいえ自己申告と言ったってそれを受け入れてもらえるのはホワイトカラー層でもかなり上層の自分の仕事を自分で決められる人だけでそれ以下の人たちは自分の評価方法に対して自分の意志の介入が認められることはほとんどなさそう。とりわけ単純労働の現場はやっぱり辛いだろうなあ。