ソーシャルメディアの感情の渦 2011年08月31日

facebook

たまにはネットの記事なんかについて書いてみたり。google+だったかtwitterだったかでシェアされていた記事。

暴れたい、壊したい人のソーシャルメディア – ガジェット通信

以下は先日イギリスで起こった暴動に関する記述。

この際、暴徒の連絡ツールとなったのはBlackberryだといわれています。日本ではあまり一般的ではありませんが、欧米ではたいへん人気のあるスマートフォンです。
ソーシャルメディアを用いれば、多くの人間がリアルタイムで連絡をとりあい一つの場所に集うことが可能になる。中東の民主化革命で起こったことと同じことがロンドンで起こったわけですが、大きなちがいは「敵」が明確ではないことでした。ロンドンの暴徒たちに政治的な意図は少なかった。むしろ、そこにあったのは「暴れたい、壊したい」というきわめてアナーキーな欲望だったのです。

暴動の要因を貧困や失業に求める意見もみられますが、スマートフォンをもっている以上、それをことさらに強調することはできないでしょう。ひょっとしたら中東における民主化運動だって、大多数の人を動かしたのは政治的な意志よりもアナーキーな欲望のほうだったのかもしれない。

イギリスよりも小規模ではありますが、こうした例はアメリカでも見ることができます。

「フラッシュモブ」は当初、ソーシャルメディアで集った集団がキテレツなパフォーマンスを披露してそれをYoutubeにアップするという、あまり罪のないものだったそうです。ところが、これがエスカレートして集団略奪や窃盗に発展しているという(下記リンク参照)。

これはおそらく、組織化されていない集団による犯罪だと思われます。お互いにたいした面識のない者同士が突然に集まって集団略奪を繰り広げる。

ソーシャルメディアにはそういう力がある。これは認めざるを得ないところです。

ちょっと最後の展開が飛びすぎてるような気がするんですが、それでもちょっとおもろいなと感じる部分もあり。例えばtwitterのつぶやきなどは非常に感情的なものが多くなる傾向があるものでしょうな。簡単な一文の投稿で済むために文章の推敲などが必要とされず、ポンと心に浮かぶ感情をあまり意識しないままそのまま出すことが多い。そういうつぶやきが何かのきっかけでものすごいスピードで伝播していくわけだが、特にfacebookみたいにある程度顔が見える知り合いどうしの中でそういう感情の共感、伝播が繰り返され、感情がどんどん高ぶって集団ヒステリーのような狂乱を生み出すような性質があるなあと感じてはいた。多分古くは2chにもあった簡単な1センテンスがものすごいスピードで重ねられて行く感じが、あのLikeボタンやfacebookお得意の操作性の良さで友人関係の人の顔が見える中で熱狂へ変わって行く様は容易に想像できるんであります。

ヒステリーの、その熱狂はもうどこへ行くかなんである。先導次第。世の中への不満は独裁者に向かうのか、偶然その場を車で通りがかった人間がなんらかのきっかけで被害に遭うのか?デモや暴動の正当性なんてのは本当に外国に居ててはまったくわからない。それは2010年のタイの騒乱の際の日本の報道を見ててもよくわかるのでそれに関してはなんとも言えないというのが正直なところ。

ただ、TV全盛の80年代にもよく言われていたことだが、やっぱりメディアの性質というのをよく理解して利用しなけりゃ頭のいいやつにうまいこと利用されるだけですよ、ということなんでしょうかね。