facebookの感動話や鑑定系のエントリが実は広告だったという話 2013年04月22日

Facebook button count is wrong, use RealShare
“Facebook button count is wrong, use RealShare” photo by birgerking

facebookで出回る感動話。前々からこういうのがfacebookのタイムラインに流れてくるのを見て実につまらんなあ。。。と思ってた。

誰でも書けそうな話がちょこちょこ知り合いのイイネ伝手でタイムラインに登ってくるけど正直「ああ、またこの系統の話か」と無視。感動系の話ってだいたいツボが見切れてるのか伏線の張り方とか、小道具とか、オチのつけ方がだいたい想像がつく。

こういう話って怪談とかと同じく感極まらせるという点でで多分一緒のポイントがあるんだろう。だから量産が可能なんですよ。この手の話を作り出すのにうんうん頭をひねる必要もないのだ。

コメント欄など一応覗いてみると「シェアさせて頂きます」とかコメントが連発されててなんか辛気くさいなあと。。。

そもそもFBで公開したんだろうから、他人が気に入ったらシェアされるなんて当然前提として考えてるだろうからもう勝手にやればいいと思うんであります。つくづく日本人のマナーって律儀だなあと思ってしまう。

そういう細かい挨拶とか抜きにして書きたいことの本論をズバっと書きゃあいいじゃないかと思う今日このごろ。なんかこういう感動系の話を中心に僕的には辛気臭い日本の習慣みたいなものが渦巻いているようでなんか気持ち悪かった。

と思ってたらうまいこと悪用してる奴が居るってのを聞いて、ま、確かにそうだろうなと思ってしまうね。なんかやっぱこういうので感動してる人って言っちゃあ悪いがやっぱりお人好しって気がする。こういう話よりも自分にしたらヤクザの命をかけたギリギリの選択の瞬間とか、どす黒い社会の息抜き方とかの方がよっぽど勉強になるし、剥き出しの欲望をぶつけ合わせた中にこそ真実があるもんだと思っている。

感動話が実は広告っていう話で怒ってる人も、別に広告でなんか商品の宣伝見せられるだけだから、「ああ、こんなやり方もあるのね」と関心だけして、広告は無視。

こういうズル賢い連中の手法をたんまり見ておく事によって例えば自分がリアルの世界なんかでややこしい揉め事に巻き込まれたりした際なんかでも相手の出方を予想できるようになり、被害を最小限にして相手を封じ込めたりするんだと思うんだけどな。僕はこういう感動話には素直に感動しないし、聞きながら「ああ、その伏線の張り方はちょっと甘いと思うなあ」と一人ツッコミをしてたりする嫌な奴なんでございます。。。個人的にはこれが普通だと思っているがやっぱり嫌な奴の範囲に当てはまるんだよね???