僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 中島らも 2014年04月27日

大阪で1番美味しいたこ焼きくん♥
“大阪で1番美味しいたこ焼きくん♥” photo by Giovanna Durgoni

少し前から中島らもの本がKindleで何冊か買えるようになっているのは知っていた。んで、久しぶりに探してみるとあの「僕に踏まれた町と僕が踏まれた町」まで電子書籍化されていた。中学生、高校生の頃に何度となく読み返した非常に懐かしい本。早速買って約20年ぶりぐらいに読み直した。

しかし僕でちょうど38歳。この本を手に取ったのは中学生の頃。そう考えるとこの本を大事に大事に読んできた30歳後半から40歳前半の人って結構多いんじゃなかろうか。読み返すたびに「ああ、そうかあの頃考えてたことはここから来てるなあ」とか「そうそう、このフレーズだけはきっちり覚えてるけど、この本に書いてあったか。忘れてしまってたな」ということが多々ありました。

大槻ケンヂはこの本の自殺した友人のくだり、

ただ、こうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年かに一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。だから「あいつも生きてりゃよかったのに」と思う。生きていて、バカをやって、アル中になって、醜く老いていって、それでも「まんざらでもない」瞬間を額に入れてときどき眺めたりして、そうやって生きていればよかったのに、と思う。

に涙すると書いていたけど、僕は「まんざらでもない」瞬間を収めた額をときどき眺める、というのが引っかかってたりして、もうちょいパンクというか鬱々とした、

酒を飲み始めた動機というのは、単純に大人の真似がしたかった、だけだった。そのうちに「酔う」ということがわかってくると、それが自分の精神の欠落した部分にあつらえたようにぴったりとはまり込んで、空無のところを埋めてくれることに気づいたのだ。十代の僕は一種狂暴なほどに自分自身を憎んでいた。そしてそれ以上に、自分がその一隅を占めているところの「世界」そのものを憎み、呪っていた。世界は醜悪で愚かで付臭を放っていて、それは僕の存在とうりふたつだった。自分も世界もその腐った体で抱き合ったままで「ぶっつぶれてしまえ」というのが、僕にできる唯一の意思表示であり願望だった。酒の酔いは、そういう破滅的な気分に実によくフィットした。泥酔してぶっ倒れる瞬間というのは、自分と世界にとっての大破滅のミニチュアであり、夜ごとに訪れる小さな「ビッグ・バン」だった。

こういう文章のほうがしっくりきて、まだ中学生ぐらいならイマイチをわかりきらずにいたけどそれでも「精神の欠落した空無のところ」なんてところはわからないなりににもなんか共感を感じたりといろいろ考えてたもんです。

よくよく考えると結構大学入る前までの行動パターンってこの本に影響されてた部分も多いような気がする。だいぶ救われてるのは確かだけど、今考えるとエライ本を読んでたなと思う。読んでなかったらどうなってただろう??

なんてことを考えながら実に懐かしいこの本を、仕事の合間に携帯チラチラ読みながら、一気に半日で読みきってしまいました。。。

僕に踏まれた町と僕が踏まれた町 (集英社文庫)
集英社 (2013-07-25)
売り上げランキング: 3,342