VPN Gateの概要を読んで 2013年03月17日

endefensadeinternet
“endefensadeinternet” photo by David Fraíz

日本の筑波大学が進めているプロジェクトで、先のポストでも紹介したvpngateというプロジェクトがあります。

VPN Gate 公開 VPN 中継サーバー一覧

これは、中国のように国や政府の規制が強く、インターネットアクセスにも一部規制が行われているような国にいる人に対して自由なインターネットアクセスを実現するというのが大きな目的のようですな。

全世界規模における Web サービスの競争は、インターネットを利用するユーザーの利便性を向上させるために欠くことができないものです。インターネットはそのような素晴らしい平等な競争環境を世界に対して提供しています。しかしながら、世界中のいくつかの国はこのような公正な競争を妨害しようと試みています。

<中略>

日本や米国、ヨーロッパなどの国の多くでは、国民は政府に対してこのような「政府によるファイアウォール」の設置を憲法で禁止しています。しかし、世界中にはこのようなコンテンツフィルタのためのファイアウォールを設置している政府が多くあるといわれています。

政府によるファイアウォールは、海外の優れた Web サイトを国内から閲覧できなくし、国内ユーザーに対して、国内企業が提供する他の競合サービスを使用するよう強要します。つまり、国内のユーザーに不便を強いることにより、国内の Web サービス企業に対して不当な利益を供与しています。国内の一部の企業に対して不当な利益を与え、それとひきかえに他の大多数の国民を世界の Web サイトに対して無知の状態に留めておくことは、長期的視点で見ると公共の利益の低下につながります。

もし、海外の競合 Web サービスへのアクセスをフィルタするための政府によるファイアウォールが設置されている環境であっても、YouTube、Twitter や Facebook などの海外の素晴らしい Web サイトに自由にアクセスすることができれば、ユーザーにとってとても便利です。そして、ファイアウォールによって過保護下にあった国内 Web サービス企業は、海外の Web サービス企業との公正な競争に巻き込まれることになり、長期的視点で見るとそれらの国内企業のサービスの品質の向上にもつながり、すべての人々がその利益を得ることになります。

VPN Gate の概要 – 本研究で解決したい課題

こういうのを読んでいてふと思ったことだけど、日本の場合インターネットアクセスは基本的には自由が確保されててそれが合法ということになっているけど、不運にも自分の住んでいる国がインターネットアクセスの規制を行っていて、その規制に従わないのは原則違法という立場に立たされた場合、インターネットアクセスの自由が第一の正義とされるべきなのか、法の遵守が第一の正義とされるべきなのかという問題はどうしたらいいのだろうね。

インターネット自体は自由で素晴らしいものだけど、無管理の怖さというようなものがあるだろうしね。一国を管理する過程において、自由を制限する結果になる規制が必要な場面というのも多々あると思う。例えば戦後直後の日本のような混乱した社会では輸入規制や思想の規制(規制まではいかないか、誘導、みたいな感じかな)などもその国が混乱した状態からどういう方向性で成長していくかを定めていく上でも必要なことでしょう。

少し前までのミャンマーでもなぜ軍政が延々続くのかという疑問に、複合民族国家で紛争が耐えないことから、並大抵の権威や、政権の正当性を歌おうとも、反対運動が収まらず、紛争が続き、わかりやすい”力”でないと国一つを中々まとめて行くことができない、という理由を聞いた事がある。

んでもって、まじめな日本人と異なり大陸に出てくると、人間の多様性というものを本当に実感する。タイなんかでも、実際に街中を眺めてみると白人が居て、中国人、韓国人、日本人が居て、タイ人やマレー人、インド人など人種も多種多様、さらにタイ人だけを見ても収入や生活スタイルにより、様々な考え方の人間がいる。日本のように皆中流のほぼこの辺、というようなまとまりがない。田舎の方で農業だけやってる人と、バンコクの企業でホワイトカラーやってる人は常識が違いすぎて話が合わないと思う。そういう人たちをまとめて犯罪を抑制し、安定した社会を作っていくには強い権威、国をまとめ上げる正当な理由を持った超越した存在が必要なんであります。民主革命がひとしきりいろんな国を民主国家へ導いたのちも王制を前提とした立憲君主制という制度が亡くならないのはこういうことだと思う。民主主義の法律の元、議会はコロコロ入れ替わる、そう言った機関が国の政治を左右し、法律を作っていくが、その正当性はどう説明するかというと、その国の歴史と文化を代々作り出してきた王家、王様がその議会や法律を承認するという形でその政治に国をまとめる正当性という権威を与える。

んで、どの国も自分の国の歴史を輝かしくフィルターをかけて教えるものである、それは、その国の人のアイデンティティだから当然ですわな。こういうことは大人になればいろんな社会の現実とともにそのかかっていたフィルターに気づくようになる。僕はこのフィルターの存在自体には何も不満はない。どこの家でも自分とこの家族や家を手前味噌に自慢したいもんだよ。ただ、それに目くじらを立てるのではなく、冷静にそのフィルターの存在に気づき、なぜそのフィルターが存在するのかを深く考えて行く方がよっぽど自分のためになるのだと思う。

さて、話戻ってそういう今の日本人が気づきにくい国の権威というような話があり、その正当性を保つために教育や報道などには一生懸命なんであります。中国はもとより特にアフリカとか、中東とか未だに正常不安定なところは余計にその傾向は強いのではないでしょうか。日本では情報統制というとすなわち悪、という風にとらわれがちだけど何が正義で何が悪というのはその当事者になって見ないとわからないということも多いし、当事者によってもその立場によってまるで意見が異なったりする。

そういう中である程度統一した思想の元で統制を行なっていくのは間違った選択肢だとは思わないし、当然そういった事はある程度のタイミングで見直しがある前提ですけど、短期的な策としての情報統制は個人的には異論はないんであります。

個人的には上記のような感じ方もあってVPN Gateの発端の理念の部分は、もう少し考えたほうがいいんじゃないかなーとも思ったんであります。ま、ようは日本人が日本人なりの考えで「こうした方がいい」と叫ぶことに問題はないと思うんだが、いろいろそれぞれの国で事情があるだろうから、規制の根本の理由ってのを一段深く探るのもいいんじゃないかと思った次第です。マル。

あー、こういうのを書くとどっと疲れるわ。うまくまとまってるとは思わないけど、普段頭の中で考えがジャグリングしてるだけでアウトプットするためにちゃんと考えてることをまとめる、という作業なんてしないからねえ。