カオサンとファランと私 2012年03月17日

Khaosan Road

昨日、カオサンのバービアの道路に面した席でビールを飲んでいたら、一人のファラン(西洋人)が歩いて来て、

「ここに電話したいんだけど、僕の持ってるのはiPod touchで電話できないから、君のiPhoneを使わせてくれないか?1分ほどでいいんだけど。」
「は?」
「電話使わせてくれないか?」
「そんなの、公衆電話から掛けれるよ。」
「いや、僕は君に言ってるんだ。タイ人は笑顔の国の人で親切だと聞いたから。」
「俺、日本人よ。」
「ああ。。そうか。。」

と言って立ち去って行った。カオサンの通りだから普通に100mも歩けば公衆電話が見つかるのに何がしたくてわざわざ他人に電話貸してくれと言って来たのだろうか? まあどちらにせよ、電話貸してそのまま走り去られたら電話は戻ってこないので絶対貸す訳はないのだけれど。

しかし、「公衆電話からかけれるよ」と言った後に「いや、僕は君に言ってるんだ」という切り返しはまず日本人との間にはない切り返しだと思う。日本人の場合、「他の方法も探しましたが策がなく、ご迷惑おかけしますが貸してもらえますか」的な理論に十中八九なるかと思うが、タイ人もそうだし、ファランもそう、大陸の人と話す時に「他に選択肢もあるけど、俺はこの方法を選んだ」という理論が結構あるように感じる。

その次に「俺は君に話しているんだ。君の意見はどうなんだ?」と聞いてくる。日本人的な感覚だとここでなかなか怪しくてもノーと言えない場合が多い。他の断る理屈を探すのだけれど、相手は前に出る気持ちを支点にしゃべってきているのに対して逃げ道の理論を探っている自分は穴を出しやすい。さらにしつこく聞いてくる奴にどんどん言詰められたりする。しつこく聞いてくるほうが怪しいんだけどね。

まあ、そういう時も「これは俺の電話。俺が人に使わせるのが嫌だと感じる。だから貸せない。」と相手に負けない、”ノーだ。他をあたれ”を自信を持って言いましょう。僕は大体こういう感じで不利になった交渉を切り抜けます。これは感情なので相手が言い返せないことが多い。そしてこういう感情を起点にした理屈も以外と結構みんな納得するもんです(もしかしたら呆れられたりしてるのかもしれませんが)。

というわけで、最終的に感情的に納得できないことを言い負かされたからって簡単にやっちゃあダメだ、ということで。