木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 2012年08月02日

やっとこの超大作を完読。いやー、なんやかんやで読みきるのに一ヶ月ぐらいかかった。しかし、やっぱり戦後のプロ柔道以降のくだりからはもの凄い勢いで読み進んだ。

タイトルにある、木村政彦、力道山のみならず、大山倍達(ちなみにこの本で初めて倍達という語が朝鮮における「大和」を表すような大事な言葉だということを知る)、岩釣兼雄、山口利夫など日本の武道界に関連する男たちが交錯し合いながら、敗戦、混乱という時代を生き抜いていく様が恐ろしいほどの綿密な調査と検証を経て描かれている。木村政彦の三倍努力と言われる地獄のトレーニングやら、凄まじい強さもさることながら著者の木村政彦に対する事実を知りたいという執念が凄まじいのであります。

増田俊也の憂鬱なジャンクテクスト|公式ブログ

戦前、戦中、戦後と、日本人とおよびアジアにとってのアイデンティティの大転換期において木村政彦のノンポリな性格も凄い。天皇を中心に据えたカミカゼ日本の必勝神話が崩れ、今まで差別を受けてきた朝鮮、中国人が戦勝民族として立場が逆転する中で師匠の牛島辰熊やら大山倍達が思想に傾く一方、大股開きのヌード写真を飾って柔道を教えている門下の生徒に拝ましていたりととかくいい加減な世渡りを繰り返している。ま、それだけ自身の強さにアイデンティティの根幹があったんでしょう。全日本選士権三連覇、天覧試合優勝という権威のハクもつき、さらには実戦、ノールールでも負けないという自負はどんな思想も必要としなかったのでしょうな。そしてノンポリが故に真剣勝負に拘らずプロレスのリングにもあがって。。。

そしてアイデンティティが敗れた時には、武士道や思想の元に自害をしたり、他に寄り添っていくものを見つけるという手段がなく、常にアイデンティティの中心にあった自己との対話しかなかったのでしょう。それでもどう言い訳したって自己のどまんなかの心が納得しないまま残りの半生を答えをやはり見出せないままに生きてきたのでしょうな。やっぱり人間信じるものがあるってのは救われるのかな。こういう本を読みながら「信じる者は救われる」というベタな文言を思い出したりした。それだけ自身を信じて生きるってのは中々辛いもんなんだよね。。

当然、力道山の関連の本も、大山倍達の本も、坂口安吾の「堕落論」も、石原莞爾の「最終戦争論」も読んでみたくなるのであります。

しかし、その前にシャンタラムだ。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田 俊也

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