追憶の牛丼太郎、そして愛再び 2015年12月10日

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東京に居てた頃はよくよくお世話になっていた牛丼太郎。2006年からタイ住まいですが、その間にどうも牛丼太郎の経営会社は倒産していたようだ。高円寺に駅前ロータリーにあった牛丼太郎が懐かしい。


ストイックマーチ

なっとう丼!

闘え友の会

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2004年当時のブログのエントリにはそこかしこに牛丼太郎の文字が。

牛丼太郎【熱烈】ファンサイト お店情報
↑ 当時何回もチェックしていたサイト。

しかししかし、まだ牛丼太郎の生き残り店があるという。先日知り合いがfacebookであげていた●丼太郎 茗荷谷店がどうも牛丼太郎の生き残り店らしく、ウェブで見てみるとなんとも感動的な牛丼太郎愛に支えられて継続されている牛丼太郎遺伝子でした。

『牛丼太郎』最後の生き残り、『丼太郎』茗荷谷店の謎 | ハーバービジネスオンライン

牛丼太郎の「牛」を消して●丼太郎、「どんぶりたろう」というお店。

次回、日本に一時帰国した際にはぜひとも何の用事がなくとも茗荷谷に訪れ、丼太郎で感動の納豆丼を食いたい!と思ったものの冷静に考えると現状220円の納豆丼に新幹線往復30,000円を費やすのも超クレイジーな行動だなと0.1秒で躊躇してしまう。いや、ダメだ!ものごとは考えずに行動しなくちゃ!

というわけでタイはバンコクから牛丼太郎の思いを書かせて頂きました。次回なんとかして食いに行きたい。

2015年の日本一時帰国 – 枯れる本能 – 2015年09月27日

Asagaya / 阿佐ヶ谷

今回の日本帰国も無事終了しまして最初の週末。

しかし最近は特に何が食いたいという食欲も失せてしまい日本帰国してもあまり外に出歩かない日常。(バンコクにペッパーランチやらココイチやらが進出してきているので何も困らないから、というのもあると思うが)

実家に居てうちの親と一緒に食うシンプルな和食が一番うまかったりする大阪の生活。

そんな雰囲気の中、日本帰国で一番の楽しみと言えるのはやっぱり対面で人と会うことですな。ホントにそれ以外の楽しみがなくなってきた!

大阪では大学の時の友人たちと梅田で会合。10年以上あってなかった友人ともひさしぶりに顔を合わせて大満足。

東京ではいつもどおりに夜の飲み会コースでしたが飲まない僕の取り扱いが難しかったのかもしれませんな。確かに極端から極端に振れてしまう性格があるのでしょうがないのですが何卒ご容赦。しかし深夜にカラヤンをバックに神道の話ってのがなんとも言えない中央線テイストでたまらんかった。

今回は2泊3日の東京滞在でホテルは阿佐ヶ谷に。この期間中ついには高円寺には一度も足を踏み入れなかった。

「ああ、この街にも用事がなくなってしまったか」

と一人センチメンタル。実は高円寺を離れてから何年たっても自分の顔を覚えていてくれているラーメン屋ひら石のおやっさんに会いたかったがさすがにラーメンを食うのはかなり今の自分の胃にはキツく、初日の博多天神のラーメンでかなりモタれてしまった。ついにはタイミングがつかめず行けずじまい。しまったなー、飯食えなくても顔ぐらい出しゃあよかった。

大学の後輩の結婚式も、僕の知らない顔が結構多くてびっくりした。大学卒業当時、僕らの世代が結構めちゃくちゃしたからもうこのサークルも長くはないなと「後は知らんぜ」的な感じで卒業していったが以外にちゃんと存続してるらしい。素晴らしいね。

最後の日には吉祥寺のうまい寿司屋に連れてってもらいました。実にほっこりとした優しい味の寿司で単純に「いつでもこういう飯が食えるようにちゃんと頑張って仕事をしよう」と思えるいい食事。こういう寿司はタイにはないね絶対。

というような感じでいろんな人に会い、またいろんな人に会えずの日本一時帰国。また次回の帰国時にまた相手してくださいな。そして今回特に東京は滞在期間が短かったので会えなかった方々すんません。来年はうまくやってもうちょっと長期に帰って来れると嬉しい。

らぁめん ひら石 @ 高円寺 2014年04月06日

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↑ のりらあめん。

今回の高円寺訪問も一度は「らぁめん ひら石」へ。

最近ダイエットして食が細くなり、ひら石さんとこのラーメンも量が多いからちょっとしんどいんだけど、それでもなんかここは一回行っとこうと思うラーメン屋。来るのは前回の高円寺訪問の時以来だから2年ぶり。店でラーメン注文するときにおやっさんが

「お兄ちゃん久しぶりだね、ちょっと痩せたかな?」
「ああ、はい。病気とかじゃないんですけどね。」
「ああ、そだろうね、顔色は悪くないもん」

とちゃんと覚えてくれていたりするんですわ。前回の時も高円寺を出た時以来ほとんど行ってなかったのに

「お兄ちゃん、久しぶりだねー。元気にしてるの?」

と5年ぶりぐらいでもこんな感じで話かけてくれるおやっさんです。

今回タイ人の彼女連れて食いに行ったがタイの通常の食事と比べると日本の食事ってたいがい量が多い。その上ひら石さんとこのラーメンって大盛り量だから当然のごとく食べきれず僕が全部食べることに。結構ひいひい行って食いました。餃子頼んでなくてよかった。この餃子もうまいんだけどね。

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↑ 彼女が頼んだごまみそらあめん。最近は高円寺も白人が多いらしく、外人さんは決まってこれを頼むと言っていた。

ウェブで検索していたら、なんとおやっさんすでにもう70歳だとか。しかも記事読んでいくと結構いろいろ苦労してはるんだなあと。10年前に一回心臓で倒れて復活したらしいけど、まだまだ元気に仕事して欲しいですな。また食いに行きます。

地を這いながら“匠の味”を見出した老夫婦の意地外食戦国時代に固定客を増やす「媚びないラーメン店」 ――高円寺の「らぁめん ひら石」店主・平石晃さんのケース|シュリンク業界で生き残れるか?~構造不況の迷宮で再起を図る人々 吉田典史|ダイヤモンド・オンライン

タイ帰国を前にして最後の晩 2012年07月20日

今回の日本滞在、最後の晩は東京高円寺という予定でした。高円寺に来て、いつもの定宿ホテルメッツ高円寺へ。

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↑ 相変わらず日本のホテルは狭い。息がつまる。。。

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↑ バスルームも清潔そのもの。

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↑ とれたのは7階の部屋。眺めも中々。

今回の日本一時帰国は家族の見舞いが理由だったので東京へは一泊のみ。18日の昼過ぎに東京へ来て19日の朝10時の飛行機でタイに戻るというスケジュールだった。高円寺のゲストハウスに泊まるか?みたいな考えもあったが結局ホテルメッツ高円寺に。すでに数回泊まっているが、今回はじめて気づいたけど、昼間でもこのホテルの客室に入るととても静か。遮音性がよくてよく眠れる&よく仕事できる。そして利用料金は一泊8,000JPY。やっぱりちょっと高いなあ。

晩は高円寺時代の旧友と阿佐ヶ谷 「割烹互閃」さんにて。旦那も奥さんも前々からよく知っている二人に第一子誕生ということで娘さんも一緒に来ていた。本当におめでとうございます。皆が皆それぞれいろんな道を進んでいて楽しい。やっぱり時間が経っているので昔みんなで飲んでいた高円寺を去る者、残る者でそれぞれ。でもそれでいいんですわな。皆それぞれの判断で人生やりたいように生きてるので。その中で一瞬でも友達に慣れて酒を酌み交わしたということが幸せなんであります。そんな懐かしい面々と久しぶりに一緒に飲んで、、、

あっさり轟沈。やっぱりこうなるんだなあ。この後ホテルに戻る。結局、押さえたホテルメッツはシャワーを利用することもなく、出発時間の直前に目覚めて飛び出して行く事となりました。。。

書籍自炊、9月帰国の予定表

会社の上の人からFujitsu ScanSnap S1300をこの土日で借りて家の中の本をデジタルデータに自炊中。とりあえず、なくなっちゃ困る「テクノ本」や「Black Machine Music」や「魂のゆくえ」なんかをデジタルデータにしたい。元本は捨てる。いましろの「釣れんボーイ」も自炊したいが、ちょっと本を解体するのに躊躇。

しかし、ScanSnapは今回の帰国時に購入してタイに持ち戻りたい。。。

というわけで今度の日本帰国のスケジュールになりますー。

9月30日(木) 飛行機移動
飛行機にてバンコクから関空へ
TG672 1100発 1830着

10月1日(金) 大阪
午前:大阪買い物
午後:H條さん、Mさん宅訪問
夜:実家泊

10月2日(土) H多さん結婚式
午前:移動 新幹線 大阪ー名古屋
午後:本多さん結婚式
夜:名古屋泊

10月3日(日) 東京移動
午前:名古屋観光
午後:観光、東京へ移動 名古屋ー東京
夜:高円寺で飲み、ホテル泊 ホテルメッツ高円寺

10月4日(月) 東京観光 w/ M澤さん
午前:東京観光 ラーメン二郎
午後:東京観光 博多天神(ラーメン)
夜:高円寺で飲み、ホテル泊 ホテルメッツ高円寺

10月5日(火) 飛行機移動
飛行機にて成田からバンコクへ
TG677 1655発 2125着

以上、よろすくお願い、致します!