Trusty New Balance 992's / Soggy Gooseshit Socks
“Trusty New Balance 992’s / Soggy Gooseshit Socks” photo by Nate Luzod

アメリカのウルトラマラソンランナー、ディーン・カーナゼスの著作。これもkindleで売っていたので購入。840円。先日の日本一時帰国の際に行き帰りの飛行機の中で読み切った。

いやー、この人は変態だわ。なぜこんな過酷な長距離マラソンを走るのか?というと基本答えはただひとつ、「肉体をいじめ抜いてどこまでのことができるのか??」だけ。100マイルのマラソンを走ったり、気温50度以上、路面温度90度以上になるアメリカの日陰が全くないカンカン照りの砂漠の一本道のハイウェイをふらふらになりながら走ったり、極寒の南極をスノーシューズではなくランニングシューズでフルマラソンしたり、あげくは全体300kmを超えるリレー大会のコースを一人で完走したりと「なんでそこまで。。。」と呆れるぐらいに極限への挑戦を行うドMランナー。

本を読んでいても、特定の信条、思想について書いていたり、精神世界がどうのとか、そういった記載はまったくなく、本人のこだわりは若い頃になくした妹の事。彼の信条の根幹にあるものが仰々しい大義名分ではなく、彼の生活の半径何10kmとかそういったレベルの非常に地に足をついた地味ーな生活基盤なんである。完全ヴィーガン(菜食主義者)でウルトラマラソンランナーのスコット・ジュレクなどとは大違い。スコットジュレクの場合、動物保護や健康管理上の視点から好ましいとされる菜食主義者で、ウルトラマラソンで過酷な肉体的課題を次々とこなしていって、世の中の菜食主義者のアイドルとなっている(完全菜食が菜食+肉食の通常の食生活と比較して栄養学上、健康上問題が発生しないのかというと、そこはまだ完全に答えが出ていない)。それと比べるとディーン・カーナゼスは「俺がやりたいからやる!肉体の極限までを試してどこまでのことができるか見てみたい。きっと死んだ妹も喜んでくれるはずだ。」と自分のコアに一直線。普通に職場や友達関係では思い込んだら言うこと聞かないちょっとめんどくさい感じの人なんだろうなあと夢想。でもまあわかりやすくて信用はできるかな。

しかし、本の後半この人はちょっと人道的な理由付けを覚えてしまう。「病院で臓器移植を待っているあの娘のために走る!」というような感じであります。このへんはちょっと”思い込み善意の人”っぽくなってて感情移入がしずらくなった。自分の思い込みだけで根拠もなくポジティブでそれを人に振りまいたりする人を”思い込み善意の人”と呼んでるが、よくネット上のコメントなんかでも「元気玉送ります」とか、「元気を頂きました」とか書いて得意満面になってる人が居るが、ああいうどうでもいい根拠も何もないことを発して自分は善意の人だと思い込んでる偽善的な雰囲気があまり好きでない。「いやー、書くことなかったからみんなに合わせて書いただけだよ。実際には元気玉とか元気をもらいました、とか何言ってんねん?!って感じやけど」と言ってくれる人ならいいが、真剣に「俺、良いこと書いたなあ」とか思ってる人とは話しが合わなくて困るのだ。。

ディーン・カーナゼスの例も「いやー、一応やってることが俺の場合極端だから、だいたい何かやろうとすると取材が入るじゃない?だからこういう臓器移植の提供者を探してる人達の看板役になってあげると目立って多くの人の目に触れるから何もしないより提供者が名乗り出てくれる可能性も高くなるかなと思って」とか言うのであれば至極同意なんだが、理論・根拠はなしに「あの娘のために走る!」としか書いてないから「はあ、、、」と言ってどうも気持ち的にシンクロできないのであります。

とはいえ、やっぱかなり変態的に走るにこだわったエピソードが満載でそれなりに読み応えがある。先のリレーを一人で走るなんてのも、300kmもの距離を数時間程度で走れるはずもないんだが、通常はリレーで短距離間で選手が入れ替わって走るからコース上に補給所なんて設置する必要もない。なのでこの人、食事などは自分で用意する必要があるのだが、携帯電話を持ちながら走り食事の少し前の時間になったらピザ屋に電話して「ピザ配達して!」と依頼するらしい。そして「40分ほどかかります」と言われれば「その頃には####の交差点から****方面にそう遠くにはいないはずだから交差点から走ってきてもらえば見つかるはず。」と言って持って来てもらい、なんと走りながら食ったりするみたい。なんともな変態ぶり。そうかと思えばドライブスルーで車がないからとオーダーを断られたりアホみたいなエピソードがいっぱいで楽しい読み物なんであります。

ランニング好きの人は是非。