スマホとバックパッカー 2013年05月21日

backpacker Janelle
“backpacker Janelle” photo by Eric Brochu

Google Mapがまた今度大幅に仕様変更されるらしい。

偶然にそのネットの記事に使われていた画像はGoogle Mapで中国を表示させていたが、ふとバックパッカー時代に中国の南寧でガイドブックもなく、夜に中継点として辿り着いたバスターミナル付近で一晩過ごした時を思い出した。

今のバックパッカーはもう旅に出る環境がガラッと変わってしまっているね。大体、iPhoneなどのスマートフォン一台持っていくことで新しい国に入れば現地のSIMを購入して適当なデータ通信のパッケージを購入すればいい。そうすれば地図は表示できる、何か迷ったり、わからなかったりすれば日本語で検索ができる、もうちょいまとまった情報が欲しいなら、KindleでLonely Planetを買うことができる。もう情報収集がどうのこうの、っていう話ではなく完全に現地着いてから必要なものだけ集めるっていう感覚で何も困ることはないと思う。

僕が南寧のバスターミナルで知らない客引きのおばちゃんに手を引かれ、裏手の安っぽいホテルに連れて行かれ、窓の鉄格子が外れた部屋で最強にムシムシと寝苦しい熱帯夜を過ごした、あの不安に溢れた夜も、もう再現されることもないんだろうなとちょっと懐かしい気分。

日本から船で韓国へ抜け、黄海を横断して中国青島に入り、電車で大移動、香港などを経由して広州、桂林などをウロウロして南寧に辿り着くまででガイドブックなんて何冊も持っていけないので最初の韓国のガイドブックしか買わなかった。ガイドブックなし、事前情報ナシで知らない街のバスターミナルに夜到着する緊張感!中々にドキドキする。有名な街ならまだしも名もない中継地のバスターミナルなんて治安が良いのか悪いのかも全然わからない。体のセンサーをフル稼働して周りのものから情報を読み取って自己判断していく。ガイドブックのある旅行と比べて見どころやうまい飯なんかは当然の如く外しまくるんだが、たまにこんなサバイバル的な旅行もいいのです。とてもいい冒険感。

今ではどんだけ一人旅でも常にオンラインで孤独感を味わう旅行なんてのはもう選択肢としてはないんじゃないかな。みんな一人バックパッカーはどんな旅行の仕方をしてるんだろう?バックパッカーでも随時オンラインの今の御時世なりの面白い旅行の仕方があれば見てみたい。

怪しそうだけど持っておきたいBitcoin 2013年04月13日

Vires In Numeris
“Vires In Numeris” photo by zcopley

つい最近のキプロスの金融、税金の問題でBitcoinなるものを知った。

インターネットで流通させる独自の通貨として始まってるようで、Paypalなどのいわゆる既存のお金をインターネット上でやりとりするサービスではなく、名前のまんまのBitcoinという独自単位を持っている。

一つの通貨なんで当然既存の通貨との交換レートも設定されている。これがまた変動制で、キプロスの金融問題の際に預金を凍結されて他の国に持ち出しができなくなってこのBitcoinに変えて難を逃れようと需要が高まり価格が跳ね上がったようだ。

「分散型電子通貨」への関心、金融不安で急上昇 « WIRED.jp

このBitcoinのシステムはピアツーピアのシステムで稼働しているようで単体の管理団体といったものがない模様。まだ、その技術のロジックを納得行くまでちゃんと勉強してないんだが、最近、ビットコインを販売してる業者がハッキングにあったりしてビットコインのレートがダダ下がりしたりとかなり怪しい雰囲気にも満ちている。

「Bitcoinバブル」が崩壊、6時間で価値が半分に « WIRED.jp

ただ、インターネットで独自の通貨を作ってしまうというその発想が面白くてたまらないし、これこそインターネットがあってこそのロマンがある。そもそも通貨なんてものは国家の根幹でどの国に関してもお金に関する法律、金融に関する法律なんてのはガチガチにホールドされているし、資本主義の世の中でココが不安定になると金持ちも貧乏人も一緒に奈落の底に落ちていきます。

だから新しい通貨ということで、これからどうなっていくかとても楽しみであり、ちょっとタイバーツから幾分かはこれからのBitcoinの行く末を期待する意味でも両替してBitcoin貯金をしておこうかと考えております。

そのBitcoin、コンピューターのリソースをBitcoinのシステムに提供してBitcoinを稼ぐことも出来るという。プログラムを動かして演算処理をさせてその結果に応じてBitcoinが支払われるらしいが、適当なノートPCレベルでやった場合24hx31dで稼働させても日本円で10円ぐらいにしかならない。電気代で足が出るがな。。

まあ、そんな感じだから技術屋さん達はごついGPUを積んだ超絶パフォーマンスマシンを作って絶えずCPUファンを回し続けながらBitcoinを稼いだり、ウィルスみたいなプログラム作って作成者のアカウントで他人のマシンのリソースを勝手に使ってBitCoinを稼いだりしてる奴がいるらしい。

見ていると雰囲気が90年代のインターネットの様子そのままで、その怪しさが実に懐かしい。そうそう、昔のインターネットもこんな怪しさの中から徐々に整備されていって今みたいになくてはならない社会基盤になっていったんだよなあ!と独り物思いに耽るのであります。

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↑ ニュースグループでエロ画像どかどか落としたり、bekkoameのアングラサイトばっか見てた頃。。。

ウェブの世界でグーグル、人間関係をオンライン上に持ち込んでその情報網をがっちり抑えたfacebook、電話の世界のskypeなどなどいろいろあるけど、インターネットの創世(一般公開)から約20年、まだまだインターネットを基盤にしたビッグバンは起こると思ってるけど、ネット上に流通する独自通貨というのは遅かれ早かれ絶対に確立されていく気がするし、近い将来、国に依存しないネットマネーを獲得しあって国家間で戦争が起こったりなんてこともあるんじゃないかとも考えたりしています。

個人的にはネットマネーは熱いと思っております。僕は期待を込めていくらか買いますが、市場の成長過程でBitcoinが潰れて他のシステムが天下を取ってしまう事も考えられます。。非常に危険だとは思います。。が、!やっぱ面白いので買うのだ!!

心地良いホワイトノイズで自宅カフェ 2013年04月10日

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1月29日から酒を止めて飲み屋には行かなくなったので、晩に時間のある時は職場近くか自宅近くのいわゆるカフェに行ったりしております。本を読んだり、ちょっとしたPC作業をやるのになぜーか集中できるのでよく行ってます。

そんな中でTwitterだったかいつも読んでるブログだったかにこんなサイトが投稿されておりました。

Rainy Cafe: Ambient White Noise Generator

レイニーカフェ:アンビエントホワイトノイズジェネレーター、ということで雨の日のカフェを模した身の回りの騒音(ホワイトノイズ)を再現してくれます。これで気分的にカフェに居るような気持ちで仕事できまっせーってなコンセプトのサイトなんですが、これが結構ホントに集中出来たりするのが面白い。

僕の住んでるのはバンコクなのでこのサイトの雨の音のような雨の降り方はあまりしない。バンコクでは基本雨が降る時はスコールのようにドバっと降ってパッと止むようなことが多いのであまりリアル感がないが、カフェのホワイトノイズのほうは流しておいて非常に気持がいい。

聞いてるうちに、「これ、録音したカフェのノイズをループ再生してる?なんかループしてるポイントが見抜けないけど、もしかしてリアルタイムのストリーミング??」と考えたりしてた。しかしリアルタイムだとしても24時間ずっと同じような調子で人が居てる感じの音が流れ続けてるからリアルタイムではないのかな、と思っていた。

twitterでこのサイトのアカウントに聞いてみたらちゃんと返答を返してくれた。やっぱり録音だ。

Samuel Justice | Sound of the.. well not week! – Stockholm Vasa Cafe Ambience

スウェーデン、ストックホルムのStockholm’s Vasa museums cafeというところで録音された音のようであります。上のリンクしたページにそのカフェの内部の写真もあり、どんな様子か見ることもできます。さらにはSoundcloudに上がってるこのホワイトノイズの音のファイルも貼ってあります。

しかし、このホワイトノイズってなぜにこう集中できる気がするのか??考えてみると、まったく無音状態で集中して仕事してると、時たま入ってくる音ひとつひとつの印象がとても大きくなる。車のクラクションの音や理解できない外国語の話し声などはまさに「単なるノイズ」でしかなく、気にもとめないだろうけど、あまり集中できてない時に、母国語の日本語や、身の回りに直接関係する音、例えばハトがベランダに群がって困るなあと常日頃考えている中、ハトの羽ばたくバサバサーって音が聞こえてきたらひとつひとつの印象が強く、仕事してる思考の中に「あ、ハト来たんじゃないか??」なんて感じで中断が入るわけです。

ところが、ホワイトノイズを流し続けていると耳元に届く鳴り続けているホワイトノイズは根本的に自分の身の回りとは関係ない音と無意識に頭の中で認識して、意識を手元の仕事に集中しようとするのと、実際の身の回りで他の騒音がなってもそのホワイトノイズに埋もれてひとつひとつの印象が目立たなくなる、だから細かいことに意識を惑わされることなく同じペースで集中して仕事を継続できる。。。とりあえずこんな感じなのかなーと考えたりしております。。

VPN Gateの概要を読んで 2013年03月17日

endefensadeinternet
“endefensadeinternet” photo by David Fraíz

日本の筑波大学が進めているプロジェクトで、先のポストでも紹介したvpngateというプロジェクトがあります。

VPN Gate 公開 VPN 中継サーバー一覧

これは、中国のように国や政府の規制が強く、インターネットアクセスにも一部規制が行われているような国にいる人に対して自由なインターネットアクセスを実現するというのが大きな目的のようですな。

全世界規模における Web サービスの競争は、インターネットを利用するユーザーの利便性を向上させるために欠くことができないものです。インターネットはそのような素晴らしい平等な競争環境を世界に対して提供しています。しかしながら、世界中のいくつかの国はこのような公正な競争を妨害しようと試みています。

<中略>

日本や米国、ヨーロッパなどの国の多くでは、国民は政府に対してこのような「政府によるファイアウォール」の設置を憲法で禁止しています。しかし、世界中にはこのようなコンテンツフィルタのためのファイアウォールを設置している政府が多くあるといわれています。

政府によるファイアウォールは、海外の優れた Web サイトを国内から閲覧できなくし、国内ユーザーに対して、国内企業が提供する他の競合サービスを使用するよう強要します。つまり、国内のユーザーに不便を強いることにより、国内の Web サービス企業に対して不当な利益を供与しています。国内の一部の企業に対して不当な利益を与え、それとひきかえに他の大多数の国民を世界の Web サイトに対して無知の状態に留めておくことは、長期的視点で見ると公共の利益の低下につながります。

もし、海外の競合 Web サービスへのアクセスをフィルタするための政府によるファイアウォールが設置されている環境であっても、YouTube、Twitter や Facebook などの海外の素晴らしい Web サイトに自由にアクセスすることができれば、ユーザーにとってとても便利です。そして、ファイアウォールによって過保護下にあった国内 Web サービス企業は、海外の Web サービス企業との公正な競争に巻き込まれることになり、長期的視点で見るとそれらの国内企業のサービスの品質の向上にもつながり、すべての人々がその利益を得ることになります。

VPN Gate の概要 – 本研究で解決したい課題

こういうのを読んでいてふと思ったことだけど、日本の場合インターネットアクセスは基本的には自由が確保されててそれが合法ということになっているけど、不運にも自分の住んでいる国がインターネットアクセスの規制を行っていて、その規制に従わないのは原則違法という立場に立たされた場合、インターネットアクセスの自由が第一の正義とされるべきなのか、法の遵守が第一の正義とされるべきなのかという問題はどうしたらいいのだろうね。

インターネット自体は自由で素晴らしいものだけど、無管理の怖さというようなものがあるだろうしね。一国を管理する過程において、自由を制限する結果になる規制が必要な場面というのも多々あると思う。例えば戦後直後の日本のような混乱した社会では輸入規制や思想の規制(規制まではいかないか、誘導、みたいな感じかな)などもその国が混乱した状態からどういう方向性で成長していくかを定めていく上でも必要なことでしょう。

少し前までのミャンマーでもなぜ軍政が延々続くのかという疑問に、複合民族国家で紛争が耐えないことから、並大抵の権威や、政権の正当性を歌おうとも、反対運動が収まらず、紛争が続き、わかりやすい”力”でないと国一つを中々まとめて行くことができない、という理由を聞いた事がある。

んでもって、まじめな日本人と異なり大陸に出てくると、人間の多様性というものを本当に実感する。タイなんかでも、実際に街中を眺めてみると白人が居て、中国人、韓国人、日本人が居て、タイ人やマレー人、インド人など人種も多種多様、さらにタイ人だけを見ても収入や生活スタイルにより、様々な考え方の人間がいる。日本のように皆中流のほぼこの辺、というようなまとまりがない。田舎の方で農業だけやってる人と、バンコクの企業でホワイトカラーやってる人は常識が違いすぎて話が合わないと思う。そういう人たちをまとめて犯罪を抑制し、安定した社会を作っていくには強い権威、国をまとめ上げる正当な理由を持った超越した存在が必要なんであります。民主革命がひとしきりいろんな国を民主国家へ導いたのちも王制を前提とした立憲君主制という制度が亡くならないのはこういうことだと思う。民主主義の法律の元、議会はコロコロ入れ替わる、そう言った機関が国の政治を左右し、法律を作っていくが、その正当性はどう説明するかというと、その国の歴史と文化を代々作り出してきた王家、王様がその議会や法律を承認するという形でその政治に国をまとめる正当性という権威を与える。

んで、どの国も自分の国の歴史を輝かしくフィルターをかけて教えるものである、それは、その国の人のアイデンティティだから当然ですわな。こういうことは大人になればいろんな社会の現実とともにそのかかっていたフィルターに気づくようになる。僕はこのフィルターの存在自体には何も不満はない。どこの家でも自分とこの家族や家を手前味噌に自慢したいもんだよ。ただ、それに目くじらを立てるのではなく、冷静にそのフィルターの存在に気づき、なぜそのフィルターが存在するのかを深く考えて行く方がよっぽど自分のためになるのだと思う。

さて、話戻ってそういう今の日本人が気づきにくい国の権威というような話があり、その正当性を保つために教育や報道などには一生懸命なんであります。中国はもとより特にアフリカとか、中東とか未だに正常不安定なところは余計にその傾向は強いのではないでしょうか。日本では情報統制というとすなわち悪、という風にとらわれがちだけど何が正義で何が悪というのはその当事者になって見ないとわからないということも多いし、当事者によってもその立場によってまるで意見が異なったりする。

そういう中である程度統一した思想の元で統制を行なっていくのは間違った選択肢だとは思わないし、当然そういった事はある程度のタイミングで見直しがある前提ですけど、短期的な策としての情報統制は個人的には異論はないんであります。

個人的には上記のような感じ方もあってVPN Gateの発端の理念の部分は、もう少し考えたほうがいいんじゃないかなーとも思ったんであります。ま、ようは日本人が日本人なりの考えで「こうした方がいい」と叫ぶことに問題はないと思うんだが、いろいろそれぞれの国で事情があるだろうから、規制の根本の理由ってのを一段深く探るのもいいんじゃないかと思った次第です。マル。

あー、こういうのを書くとどっと疲れるわ。うまくまとまってるとは思わないけど、普段頭の中で考えがジャグリングしてるだけでアウトプットするためにちゃんと考えてることをまとめる、という作業なんてしないからねえ。

『ジャパネットたかた』v.s.『アマゾン』 2013年03月14日


↑ 社長もしばらく見ないうちに老けたなあ。。

下記の記事を読んでああ、なるほどと。

『ジャパネットたかた』は『アマゾン』がある時代になぜ売れるのか? – ガジェット通信

個人的には年寄りにはパソコンよりも設定項目などが少ないiPadのほうが扱いやすいと思うんだけど、ジャパネットたかたでパソコンが推されてたらやっぱパソコンなんでしょうな。高齢者が扱いなれないインターネットでクレジットカード使って商品購入するより、テレビでたかた社長見て電話で注文。今の高齢者は金を持っている人多いし、体も自由が聞かなくなってきているところだろうから、効率化なんてものよりもその人の常識内で簡単に扱えて気軽に利用できるサービスがいいんだろうね。若い人間にしたらネットを使ったサービスが増えて効率化効率化でコストもどんどん下がって「いい世の中になったなあ」と思うだろうけど(ま、あくまで消費者としての立場ですけど)、高齢者は逆に自分のついていけない技術化の向こうの世界がどんどん広がって過ごしにくい世の中になっているのかもしれない。そう考えるとジャパネットたかたは高齢者の心のオアシスなんだろう。上記の動画の例を見てみるとパソコンがえらい安いので(これなら自分もちょっと買いたいなとか思うぐらいに)びっくりしたが、どんどん価格的には割高でも手厚いサービスにお金を使っていただきたい。

若いもんは頭と体とインターネットなどの新しい技術使って自分の生活を効率化しつつ、高齢者からこぼれてくるお金を分配しながら生きていく社会構造になって来るんでしょう。

新しい技術でインターネットのサービスを立ち上げてもそもそもネットの先鋭的なサービスを使う若いやつなんてのはある程度ネットを使った生活のコスト削減ってのをよくわかっているので、中々簡単にお金を払ってくれないし、その点年寄り向けのサービスってのはバタ臭い人間関係がその中心にあってテクノロジなんかとは縁のかけらもないが、信頼関係が成り立つとそれなりに継続的にお金を払ってくれる。若い人間が高齢者の肉体的に限界が来ている部分を補佐してサービスを提供出来れば、個人でやったとしても人間一人が食っていくぶんに関してはすぐにお金はついてきそうな気がしますね。。。

てかそれはもう日本では当たり前の空気感なのかもしれないけど。僕は日本の外に居てるから実感として日常的に感じてないだけかもしれない。去年の7月に実家に戻った時に実家の周りを原付でブラブラ走ったりしてたけど本当にデイケアのバンと老人ホームが増えたなあと実感。大阪と言えど寝屋川みたいな郊外のベッドタウンだと駅前以外には何もなく多くの老人ホームとデイケアカー、シャッターの閉まった商店街、綺麗に整備された道路、公共施設というアンバランスな風景に一抹の不安を覚えてたことを思い出しました。