石鹸レス行水で約半年? 2015年03月13日

Outdoor Shower

去年の半ばぐらいから、「シャワー浴びる時ってのは別に石鹸は要らないんじゃないか?」と思ってそれなりに実践してきた。タイの場合は、普通風呂場にバスタブがなくシャワーのみ(さらにローカル指向なら水桶と手桶のみというスタイル)。そのシャワーの際に体を洗うのに石鹸、頭を洗うのにシャンプーと使ってきたが、ほとんど石鹸など使わなくなって大体半年ぐらい経っている。

石鹸もいらないんじゃないか? 2014年10月07日
石鹸なし行水を続けて 2014年10月14日

感覚としてはまったく問題がない。肌荒れ等は昔から少ない方だったが、ほとんど起きることもなく、シャワー後も適度に肌に脂肪分が残っている感じでさらさらしている。今となっては石鹸なしシャワーがデフォルトとなりつつある。旅行に石鹸を持っていく必要がないのも荷物がひとつ減って嬉しい。

ただ、シャワー時の髭剃りにローション代わりに石鹸で、とか、マラソン後の汗だく、車や風が巻き上げた道路の砂まみれの状態などはやっぱり一回石鹸で溜まったものを洗い流したくなる。

結局、なんやかんやで1週間に一回ぐらいは石鹸使ってるでしょうか。でもまあ、それで問題ないな。臭いも多分問題ないはず。まだ誰にも臭いとは言われたことがない。(臭いけどみんな黙ってるんだろうか??それだと悲しい。。)

まだまだ石鹸レスを続けていきます。

石鹸なし行水を続けて 2014年10月14日

Shower Head Water Drops 7-26-09 1
“Shower Head Water Drops 7-26-09 1 by Steven Depolo, on Flickr”

先のブログエントリで書いたように「もしかしたら石鹸っていらないんじゃないの?」と思って石鹸をまったく使わずにシャワーだけ浴びる行水ウィークを作って試してみました。ちょっとその感想を。

良い点

・髪にいい具合に脂が乗って全然パサパサしない
髪が一番状態がよくなってきたような気がする。確かに風呂上がりの髪の毛のシャンプーした時のようにキュッキュッとした清潔な感触がないのはちょっともの寂しい感じはあるが、皮脂というナチュラルな保湿クリームが髪に乗っていつでも髪の毛がしっとりしてるのはいい。これで頭頂部の少し薄くなった部分の頭皮も息を吹き返して熱帯雨林のように髪の毛が生い茂ってくれないものだろうか。

・肌も自分の皮脂が流れ切っていかないからさらさらしてて乾燥しない
水分と脂のバランスがよく皮膚の上に載っているから乾燥しにくく、べとつくわけでもなく、感触のよいさらっとした感じでカサカサした肌荒れはない。

・石鹸使わない期間が長いと体臭が目立ってくるかと思ったがそうでもない
全然、体臭は目立たないですな。石鹸使わなくても大丈夫みたい。不思議なのは今まで結構自分は足が蒸れると臭かったんだが、石鹸使わなくなってから会社の革靴を1日中履いていても足が逆に臭わなくなった。今まで石鹸が匂いを押さえる益菌を殺していたということか?

・シャワー後のさっぱり感もそんなに問題ない。水浴びだけで十分さっぱりする。
石鹸使わないと爽やかな香りもなく、洗い流した後の肌のキュッキュッとした清潔感のある感触がないのでなんか中途半端かな、と思っていたが、十分な水量の水を浴びると体の汚れや多すぎる脂はちゃんと流れる模様。

・めちゃくちゃ早風呂になった。
水浴びしながら体をざっとこするぐらいだから洗い流すものもなく非常に簡単。早い。

悪い点

・風呂上がりの爽快感があまり長続きしない
風呂あがりはちゃんと爽快感があるんだが、タイの場合昼間とか暑いから汗がにじんでくるとすぐにそういった爽快感がふっとんで汗々した感じになり長続きしない。逆にそのおかげで1日に2,3回は行水しようと思うようになるからいいのかもしれないが。

・なんか多少皮膚に垢が溜まっていってる感がしないでもない
毎回身体中の脂を洗い流していた時と比べると若干さっぱり感が落ちる、その感じが垢が溜まっていってるような感覚になる。いや、感覚だけじゃなくてホントに垢の層が出来ていってるのかもしれない。でもまあ匂いもせず肌の感じも問題なければこれが本来の状態なのかもしれんと自分に言い聞かしている。

・顔にニキビができた
これはもしかしたら最近チーズの塊(バンコクは白人もいっぱい住んでるのでスーパーでエメンタールとか、ゴーダとか、チェダーとか至るところで売っているので食う機会が多くなる)を買って食いまくってたから、脂が溢れてニキビになったのかもしれない。でも顔の脂は多少乗り過ぎのような気がするから1週間に一回ぐらいは石鹸で洗顔してもいいかもしれない。

てな感じで総じてはいい方向だと思うのでそのまま続けます。シャンプーや石鹸買わなくていいというのも経済的にもいいし、なによりめんどくさくない。簡単。水だけ。水道だけあれば風呂は入れるんだから。これだけ生活単純化できるのはいいことだと思います。。。

石鹸もいらないんじゃないか? 2014年10月07日

Soap film 3
“Soap film 3 by Umberto Salvagnin, on Flickr”

糖質ダイエットの本を読んでからいろいろと考えます。そもそも精製された糖質なんてのはいらなかったんじゃないか?人間の体は自然が作った作物をそのまま食べて適応できるように何万年もかけて進化してきたから、白米とか上白糖とかだと純度が高すぎて体が対応しきれず血糖値が上がり過ぎて体に悪い。

そもそも自然の中にあったもんだけど、純度が高くて摂取しすぎると逆に有害ってなもんは他には身近なもので言えば塩なんかもそうかな。

商品として見栄えがいい、商品のアイデンティティーとして純度をあげて商品価値を高める(例えば糖度の高い品種のくだものとか)、また生産ラインの機械に詰まったりしないように(生産効率を上げるために)高純度でバラツキのないものにするという結果、とりすぎると体に悪いものが出来上がる。何万年と共存してきた自然の中にはこんな純度の高い糖分や塩分なんかなかったからすぐに体が対応しきれない。そうして糖尿病や高血圧になってるんじゃないかと。

で、本来必須のものじゃなかったがそういう商品を摂取し続けた結果糖尿病になり、病院に行けば診療費がかかり、薬代がかかり、その対応にまたいろいろ金がかかる。

結局いろんな作り上げられた理想のイメージを求めていらないものを金出して購入して、それによって引き起こされる問題の解決にまた金が要る。この消費のスパイラルってなんだろう?と思ってたらこんなブログ記事があった。

物が増える連鎖スパイラルについて(かってに改蔵風) | 物を持たないミニマリスト

これって趣味のものとかだけでなく食事や健康なんかの面でも同じことが行われているような気がしますな。もとを絶ってしまえばガラリと生活が変わるはず。

そして最近考えているのが石鹸。これも元々いらなかったんじゃないのか?そういうウェブ上の記事も増えている。

【お風呂の新常識】石鹸はいらない!髪にもカラダにも「お湯シャンプー」がいいワケ | TABI LABO

界面活性剤で体の脂を落としすぎるので肌がカサカサになってしまうとのこと。もともと人間の肌は自然に脂が分泌されて水分と混ざり合い、天然の保湿クリームのように皮膚表面を覆うらしい。だからそのままで人間には皮膚の乾燥を防ぐ機能が備わっている。しかし、石鹸でその脂を洗い流してしまい、洗い立てのキュッキュッとした肌の感覚と、芳香剤の香りを得る代わりに皮膚の表面を乾燥させて肌荒れを誘発したりする。また、その対応として、スキンクリームやら肌荒れ治療の塗り薬など連鎖的に必要な商品が完備されていてさらに出費が大きくなっていく。

そして、「炭水化物が人類を滅ぼす」にある通り、すべての生物は細菌との共存の上に成り立っていて、あれだけ体のでかい牛がセルロースという自己で分解できない成分がほとんどの草を食べてなぜ生存できるのかというと、消化管の中に住んでいる細菌がセルロースを分解して、動物性たんぱく質を生成し、細菌もろとも消化して体に取り込むから牛は生きていける、というのと同じく、人間も消化管に住む細菌と体に取り込む栄養は密接に絡まり合っている。

人間の肌の表面にいる細菌もまたちゃんと人間の組織や他の細菌とバランスを保って機能しているどのこと。

皮膚に有害な菌が入ってきたときに撃退したり、汚れを分解したりの働きがあるはずなのだが、そういった細菌バランスも石鹸で洗うことで破壊してしまっている事もあるのかもしれない。本来人間の皮膚に住み着く細菌はちゃんと体臭を抑えるような働きもあるらしい。

そもそも清潔という概念がよくわからなくて、人間含む動物は自然の中で様々な細菌との共存の上に成り立っているのに雑菌、バイキン、除菌、殺菌って特定の菌だけ殺したり培養させたりしたってバランスが崩れて問題が出てくるんだと思うのだけれど。

こういった考えを検証してみるため、今週一週間をとりあえず、ノーソープウィークとして、石鹸非使用で行水だけにしてみることにした。さすがに今まで石鹸使って体洗ってた時と比べて風呂上がりのサッパリ感はないものの、その後の肌のスベスベ感はある。さらにそんな感じだからちょっと汗かくとすぐに水を浴びたいと感じるようになって1日に数回ぐらい水浴びするようになった。これはこれでより清潔になっていいのかもしれない。そして一回の風呂の時間が劇的に短縮。水浴びるだけだから。。今のところ割といい感じです。別に体臭がひどくなるとかの弊害は出ていないし。。もうちょっと続けてなんか問題出るか見てみたいところです。